学び〜統計と宗教
(http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/kouza/)
これに夏休み通っている。違う分野であるが、高校時代にすきだった分、とてもワクワクしている。やはり数学出来る人は頭いいな、と思ってしまう。
さて、この講座を聴きに行く意味としては
・大学の数学が現実世界に如何にリンクしているのかを知る
・知的好奇心の刺激
が僕の中では強い。
しかし、周りの人を見てみると、一生懸命ノートを取ったり、写真を撮ったり。。
バックグラウンドを知らないので一概には言えないのだが…
「それ、後で見直すのか??」
何の為にしているのかが皆目検討が着かない…
“何かを学ぶ”と言った時に大きく二方向のやり方が今の僕には身に付いている
1、自分の専門の勉強する時に行う「いかに実用に」という視点
2、専門外の本を読んだり話題を聞いた時に「リンク」や「アナロジー」の想像
高校時代までは1の要素が強いような気がする。
この時に重要なのは(多分受験生など見ていないだろうが)
知識は覚えなければならない、しかし、実用できる形で!
ここで、分野によって、覚えてから実用か、有る程度使いながら覚えるか、が変わるが本質的には一緒
数学では公式を覚える前に、導入方法や解き方を理解→覚える(というか勝手に覚える)
英語では単語、構文を覚える→英作や会話で使う
ここで重要なのは「どっちも覚えなければならないし、どっちも実用に耐える形で理解する」こと
今回の講義では講義を聴いていれば「理解」は出来るが、それを如何に自らと関連させて、そしてその関連の内容を「抽出」し「記憶に留めるか」
最終的に「覚え」なければこの一週間を無駄にするだろう(論理思考するのは楽しいからいいのだが)
ところで、題の「統計と宗教」だが
色々本を読んだり話を聞いていると、
宗教の人は「信仰心」というか「信じる力」が強い
それは兎にも角にも「意志力」に繋がっているのだろう
昔の偉人や、現代の宗教戦争を考えると、宗教による意志力の増強作用はよく見られる
一方で、今流行の統計、とりもなおさず医学、医療は
相対主義であり、「正しい」と思われることのは、現在の視点であり、1つの見方であるという思想が根強い
一般の人からすると相対主義は理解できても「気持ち悪い」と感じるものである(僕もそう)
まぁ、こんな事を考察していても詮無きことであるのは変わりないので
子供の様に好奇心旺盛であるが、身を修め、知を得て、智を開く
ことを目指さなければ