産婦人科フクロウ blog 〜PhDからプロの研究者を目指して〜人のまねをせずに、その身に応じ、武器は自分の使いやすいものでなければならぬ

基礎の発生学、細胞物理学について勉強したことを載せていきます。古武道鍛錬中。GitHub;hidem1990

学び〜統計と宗教

数学公開講座@京都大学

http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/kouza/

これに夏休み通っている。違う分野であるが、高校時代にすきだった分、とてもワクワクしている。やはり数学出来る人は頭いいな、と思ってしまう。

さて、この講座を聴きに行く意味としては

・大学の数学が現実世界に如何にリンクしているのかを知る

・知的好奇心の刺激

が僕の中では強い。

 

しかし、周りの人を見てみると、一生懸命ノートを取ったり、写真を撮ったり。。

バックグラウンドを知らないので一概には言えないのだが…

「それ、後で見直すのか??」

何の為にしているのかが皆目検討が着かない…

 

 

“何かを学ぶ”と言った時に大きく二方向のやり方が今の僕には身に付いている

1、自分の専門の勉強する時に行う「いかに実用に」という視点

2、専門外の本を読んだり話題を聞いた時に「リンク」や「アナロジー」の想像

 

高校時代までは1の要素が強いような気がする。

この時に重要なのは(多分受験生など見ていないだろうが)

知識は覚えなければならない、しかし、実用できる形で!

 

ここで、分野によって、覚えてから実用か、有る程度使いながら覚えるか、が変わるが本質的には一緒

数学では公式を覚える前に、導入方法や解き方を理解→覚える(というか勝手に覚える)

英語では単語、構文を覚える→英作や会話で使う

 

ここで重要なのは「どっちも覚えなければならないし、どっちも実用に耐える形で理解する」こと

今回の講義では講義を聴いていれば「理解」は出来るが、それを如何に自らと関連させて、そしてその関連の内容を「抽出」し「記憶に留めるか」

最終的に「覚え」なければこの一週間を無駄にするだろう(論理思考するのは楽しいからいいのだが)

 

 

ところで、題の「統計と宗教」だが

色々本を読んだり話を聞いていると、

宗教の人は「信仰心」というか「信じる力」が強い

それは兎にも角にも「意志力」に繋がっているのだろう

昔の偉人や、現代の宗教戦争を考えると、宗教による意志力の増強作用はよく見られる

一方で、今流行の統計、とりもなおさず医学、医療は

相対主義であり、「正しい」と思われることのは、現在の視点であり、1つの見方であるという思想が根強い

一般の人からすると相対主義は理解できても「気持ち悪い」と感じるものである(僕もそう)

 

 

まぁ、こんな事を考察していても詮無きことであるのは変わりないので

子供の様に好奇心旺盛であるが、身を修め、知を得て、智を開く

ことを目指さなければ